鳴らせばいいってもんじゃない-その2         寛解後589日目

 高校のときの同級生で丁度一年前、くも膜下出血で緊急手術した友達が最近こぼしていたことです。彼は現在「高次脳機能障害」でリハビリ中ですが、半側空間無視(寛解後552日目参照)で左側の注意ができないのです。ですから左側にいる人にぶつかったり、左側から来る車にはヒヤヒヤして、私が付き添うときも必ず私が左について歩きます。彼の日課は、雨が降っても2時間のウオーキングから始めるそうです。車がいない歩道や遊歩道を選んで歩くそうですが、何度も「殺されそうになった」そうです。誰に?と聞いたら「中高年の自転車オヤジと中学生のチャリ暴走族」と答えが返ってきました。
 私の町では歩道は細く凹凸が激しいので、チャリは車道を「暴走」します。自動車用の右折ラインにも平気で入ってきます。彼の住んでいる町は裕福で、広くて平坦な遊歩道が直線状に整備されているので、これらの自転車は我が物顔で暴走しているとのこと。特に後からベルをケタタマシク鳴らしながら左側を疾走されると生きた心地がせず、2回ほど「当て逃げ」もされたそうです。流石にこの時は交番に届けたそうですが、警察官はまともに取りあわなったそうです。最近はいい歳をして元気なのをいいことにロードバイクを趣味とする中高年が増えているといいます。彼らは小金でバッチリと装備を整え、フレームや他の部品に凝り、能書きを一くさり言いますが、マナーは最低だ、と彼は言っています。私の町で自動車道を危なっかしく走っている中高年を見ると、そうなのかもしれないと思います。また彼にしてみればこんな病気でなければ自分も疾走してみたいのでしょう。それができない無念さも理解できます。中高年は中学生と違うのだから、交通規則やマナーを守ることは当然だし、弱者への心遣いも欲しいと思います。私も1年ほど前、リンパ腫治療の影響で足取りが覚束ないとき、高齢者の乗る自転車に後からぶつけられました。そんなにスピードは出ておらず、私の方が身体が大きかったので、自転車の方が倒れたのですが、そのおじいさんも足が悪く、自転車が止まると立ち直るのに苦労するようでした。ですからベルを鳴らし続けて歩行者が避けてくれるだろうと思って走っていたようです。私もベルの音は聞こえましたが、当時の足の具合では咄嗟には避けられなかったのです。 場所は歩道ですが、違法駐輪で狭くなっていて、私もおじいさんも弱者に不親切な街づくりの被害者なのかもしれません。
Maruga  前歯に仮歯をいれているので、硬いものが噛み切れません。昼食はもっぱら柔らかめのもの。昨日は九段下の「満留賀」で鴨南蛮蕎麦を食べました。本鴨を使い三つ葉と柚子が入った「正しい」鴨南蛮。 老舗だそうですが、気取って無いところが良かったです。特に女将さんの応対に気持ちがこもっていました。

鼻風邪を引きました。実に4,5年ぶりです。リンパ腫治療前はもちろん元気でしたし、治療中、後もマスク・手洗いを欠かず予防していましたが、油断しました。調子に乗って人混みに出すぎたせいと思います。

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鳴らせばいいってもんじゃない-その1               寛解後588日目

 昨日、オーストラリア在住のベトナム女性の話を書きましたが、彼女との雑談のなかで気付かされたことがありました。彼女は18年間ベトナムで育ち、日本で10年間学生生活を送り、その後28年間オーストラリア・メルボルン(メオベン)で過ごしています。メルボルンはシドニーに次ぐオーストラリア第2の都市ですが静かな街です。彼女が約30年ぶりに東京に戻り思ったことは、「急き立てられるように騒々しい」ということだそうです。電車に乗れば、行き先案内のみならず、子どもに言うような注意(携帯電話のことだと思う)など長々とアナウンスがあるとか、量販店などでは日本語に加え、英語、中国語、韓国語などの説明があり、ホテルに戻れば目覚まし時計の他にいろいろな機器がアラームで「ご親切に」知らせてくれるなどなど。そういえば欧米の電車は静かですし、電気製品も日本ほど「しゃべり」ません。以前、アメリカの関係会社の人たちを日本のカスタマー・サーヴィスのため、とある製造業のお客さんへと連れて行ったことがありますが、そこでは部品を運ぶ無人搬送車が「エリーゼのために」「ロンドン橋」「かっこう」などをケタタマシク「演奏」しながら走行していました。警報のつもりなんでしょうが、複数台走行すればどれが「演奏」しているのかは分かりません。当のアメリカ人も最初は「演奏」でふざけて踊る素振りも見せましたが10分もすると、不快な表情になりました。通訳の私の声が聞こえないからです。私の通っている病院でも、自動診察券受付機の音声ガイドに始まり、入院患者の自動点滴ポンプのアラーム(輸液不良や充電切れ)、数々の順番待ち表示装置の自動番号呼び出し、など煩くて、肝心の看護師さんからの呼び出しなどが聞こえないことがあります。ですから常に自分の必要な音を注意して聞かなければならないのです。小さい文字でぐだぐだ書いてある保険の約款などは、「ここにちゃんと書いてあるでしょ。しっかり読みなさいよ。なんかあったら読まないほうが悪いんですよ。」といわんばかりです。煩い音声アナウンス、アラームなども「こちらは注意しましたよ。聞いてないあんたが悪いんです。それに目の不自由な方も文句は無いでしょう。」といっているように思えます。そして彼女が指摘するように、沢山のアラームやコンピュータ音声に急き立てられ、都市に住む人たちは精神的にも追い詰められるのではないでしょうか。今、電気自動車やハイブリッド車の音が静か過ぎるので、わざわざエンジン音を鳴らすような話を聞きました。同じようなバカな話ですね。安全を目的とするならもっと他にやることがあるでしょうに。
Neko  昨日(2/7)まで風が強かく寒かったですが午後になって少し風がやんだら暖かくなりました。ミーコは風で飛んできたゴミだらけになりながらも陽だまりでお昼寝でした。

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おでん                   寛解後587日目

 おでんといえばB級グルメとやらで静岡おでんが有名ですが、おいしいおでんは各地にあります。私の場合、食意地が張っている人生の中で振り返れば、おでんもポイントになっていることに気付きました。私が少年だった頃、近くのプールは地下水で、10分も泳いでいると唇が紫色になりました。プールから上がると、外で待っている汚い屋台で、串に刺さったおでんを買い友達と食べるのが常でした。大抵の具は煮染めたように黒く、いつ仕込んだか分からないくらいヘナヘナとしたものでしたが、プールで冷えた身体は温まりました。バイトで最初の飲食業は場末の小料理屋で、この時期になると大阪出身のママさんが「関東(かんと)炊き」とわざわざ言い換えたおでんを作りました。10代のころまでに食べていた東京の我が家のおでんとは全く違う色の澄んだ出汁で、ママさんはこれ(出汁を濁らせない)に心血を注いでいるようでした。文京区にある学部に通うになった時、近くの「呑喜」というおでん屋もカルチャーショックでした。「明治20年創業の『江戸おでん』」とかで出汁は醤油で真っ黒け。これはこれで大変おいしく、大学の研究室で飲み会をやるときは冬でも夏でも、銅鍋ごと頼んだものです。会社に入り、地方へドサ周りするようになり、色々なおでんに出会いました。青森の生姜味噌おでん、名古屋の八丁味噌煮込みおでん、大阪の関東炊きの蛸や鯨、長崎の桃若の牡蠣、熊本の馬スジ、そして沖縄のテビチ入りなどなど。釜山に行ったときも「オデンタン」という日本のおでんに似た鍋料理がありました。
 時々、コンビニへ行くと、うまそうなおでんがレジ横に並んでいます。しかし、こういう練り物で特にコンビニ食には食品添加物のリン酸塩や亜硝酸塩が多いんだろうなと、まだ食べたことはありません。リン酸は体内では重要な化学物質ですが、過剰なリン酸塩の摂取はカルシウムを体内から奪います。また亜硝酸塩は度を超すと発がん性がある(いずれ書きます)ことが分かっていますし、リン酸塩も肺がんの進行を早めるという研究結果もあります。予防するには練り物は湯通しすることです。特に、付け揚げなどの油モノでは切れ目を入れて中から、これらの添加物も含め余計なものを溶出させることです。
Odendane Oden  私が小料理屋で働いていた当時(70年代)東京・府中のサントリービール工場の隣にできたばかりの大東京綜合卸売センターへ買出しに行かされましたが、練り物だけはJR武蔵境北口の塚田水産食品の工場へ直接行きました。塚田水産食品の一般客用のお店は吉祥寺にあり、いつも賑わっています。昨日、私も久々ここでおでん種を買い込み、おでんを作りました。ここの付け揚げは、保存料などが使われていない、揚げ油が良い、歯ごたえが良く煮崩れない、旨みが強いなど特徴があります。ただし、保存料を使わない分、塩分が強めなので、おでんに使うには上記のような下ごしらえが必要です。写真のは東京風の多少濃い目の出汁ですが、関西風に蛸と牛スジは必ず入れ、和からしはもちろん柚子味噌やおろし生姜でも頂きます。

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ベトナム                      寛解後586日目

 学生時代一緒に学んでいたベトナム人が学会参加のため来日し、約30年振りに会うことができました。彼女は現在オーストラリア・メルボルン大学の教授で、昔はともかく今や私なんぞが気安く話せるような人ではありません。
 彼女は72年に来日し、1年間日本語を学んでから私の後輩になりました。72年以前は、ベトナム戦争において南ベトナムと米軍が見かけは戦勝していて、南ベトナムの富裕層は子弟を日本などに留学させていたのです。ところが米(ニクソン)はこの頃すでに泥沼化した戦争から撤退を画策していて、彼女が大学に入学しようとしたとき、潮が引くように撤兵してしまうのです。その後の彼女の故郷の南ベトナムは悲惨で、彼女が3年になったときに北ベトナムによりサイゴンが陥落します。その直前に彼女の一家が難民のように彼女を頼って来日するのですが、日本政府は冷たく、またベトナム大使館も閉鎖されてしまいました。彼女たち在京のベトナム人留学生は大使館に突入しようとしますが、警察に逮捕されてしまいます。 当然、本国(南ベトナム)からの奨学金は切られ、私も貧乏でしたが、彼女たちの貧乏生活は比べ物にならないくらい日に日に酷くなっていきました。それでも何とか博士課程を修了し、同じ留学生仲間と結婚もしました。私は、代々木上原の大使館近くの公民館で彼女たちの結婚式の幹事をやりましたが、倹しくも良い結婚式でした。しかし、日本では職がなく一族でオーストラリアへ移住し、またまた苦労を重ね現在に至っているのです。ベトナム人は大昔の日本人のように勤勉で、また華僑のように頭が良いですから、保守的なオーストラリア社会でも認められたのです。 それでも彼女は「よくやってきたと思うが、オーストラリアで有色人種がこれ以上望むのは無理。疲れました。大学はやめるつもり。」と寂しそうにいいます。 学問で認められても保守的な白人社会では難しいことがあるようです。苦労しているんですね。 
 76年暮れから翌年明け、私は上級生として彼女の卒論の手伝いをしていました。 夜遅く研究室にて二人で即席ラーメンをすすっていると、ラジオからイーグルスの「ホテル・キャリフォルニア」が流れてきたのを覚えています。歌詞は暗喩が多いので種々解釈されていますが、私たちはベトナム戦争やウォーターゲート事件後の当時のアメリカやベトナムの若者の心境ではないかと信じて疑いません。そんなことを二人して話していると、お互いに若かったこと、いろいろあったことを鮮明に思い出しました。
「おばあさんになったでしょう。」「昔と変わらずきれいだよ。君は、男子学生に人気があった。」「私は日本語もよく分からず、生活と勉強でそれどころではなかったです。」「そうだったね。 生きていたら今度は私がメオベン(メルボルン)に行くからね。」「娘がメオべンの医療センターで医師をやってますから大丈夫ですよ。」「それじゃ安心だね」「私が本当のおばあさんにならないうちに来てください。」「そういえば、『おばあさん』はベトナムでもBaだったね。」「つまらない単語を覚えていますね。○▲※・・・?(ベトナム語)わかりますか?」「降参! 今度訪豪するまでに勉強しておきます。」 
 彼女は最後には目に涙をため、ホテルに帰りました。きっとまた会える日が来ることを祈っています。
Seiyoken  この日彼女と昼食をとった精養軒のグリルにて。このあたりは俗っぽくて静かに話せる店がありませんが、精養軒は平日なら穴場です。ウチで魚ばかり食べているので、外では肉になってしまいます。でもこういう古い店はフィレ肉のマデラソースなんかはハズレはない(逆にそれ以外はハズレることがある)のです。

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がん患者の子どものケア                寛解後585日目

 リンパ腫に関しての私の諸々の反省点を以前書きました。(寛解後398日目) それらは主に身体的なことで、「家族や知人のケア」については試行錯誤だと書いていました。今でも、難しいなと思っています。私がリンパ腫だと分かったときは、家内は父親をがんで亡くしていますので少しは免疫があるのか気丈に振舞っていました(実際は穏やかでなかったことは分かっていた)。当時まだ十代だった長男は、精神疾患の治りかけだったこともあり、想像以上のショックを受けていました。また知人の10~20代の人も、少なからずショックを受けたようです。家族にもう少し小さい子がいたらどうなっていたのかは想像を超えています。以来、機会があればその方面の資料を当たってみたり、経験者のお話も聞いていますがケースバイケースで難しいようです。米の調査では、がん患者を親に持つ子どもはうつ病になりやすいという調査結果もあります。
 朝日1/29朝刊 「母の乳がん 絵本で伝える」と題し、子どもへのがん告知に悩む人向けの絵本「おかあさん だいじょうぶ?」(小学館1260円 高!)が2/8に出版されることを紹介していました。作成は厚労省・研究班(代表:聖路加病院小児科医)だそうで、子どもへのがんの伝え方として、子どもがよくかかる病気とは異なること 人にうつる病気ではないこと がんになったのは誰のせいでもないことの3点をポイントに挙げているとのこと。
 でもちょっと待てよ。この話どこかで聞いたことがあると思っていたら、血液がん患者・家族のための勉強・研究会、PAL(Patient Advocate Liaison)http://www11.ocn.ne.jp/~shin0219/pal-top.htm で、M.D.アンダーソン・キャンサー・センター編集の「がんについて 子どもにどう話せばよいか わからない親のために」の日本語訳を公開していたことを思い出しました。この内容も訳も大変良くできていて感心していたのですが、厚労省も朝日新聞も触れていません。もっと連携してやれば税金の無駄遣いにならないのにね。更に朝日では、厚労省支援事業“Hope Tree(ホープツリー)~パパやママががんになったら~”で子どものいるがん患者を対象にアンケートを実施していることも紹介していました。結果をがん関連の学会や患者会などで報告し支援に役立てたいということですが、メンバーは前述の厚労省研究班とダブっているようです。決してこれらの活動が悪いとは言いませんが、日本の患者会、学界、医師の皆さん、臨床心理士の皆さん、子どものケアを研究する団体などバラバラにやっておられるような気がします。他の分野の同様な事業の経験者としていわせてもらうと役所の補助事業というのは結局は適当に税金をばらまき「やってますよ」という口実を作らせるだけと思っています。
Tubasakarin 職場の女性に貰った川越・紋蔵庵の「つばさかりん」です。  サツマイモ餡にこがし蜜を練りこみ、かりんとう風に揚げたものだそうです。香ばしくて、こうゆうもの(?)にしては意外とおいしかったので、買いに行こうかなと思います。

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緩和ケア病棟-その2 寛解後584日目

全国的にはがん死亡者千人当たり緩和ケア病床は10余り(東京のレベル)、沖縄県では21で全国的見れば良い方だという前提で、昨年11/30沖縄・琉球新報の記事「緩和ケア病棟が足りない状態が続いている」を紹介します。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-153528-storytopic-1.html
沖縄県内には緩和ケア病棟を持つ病院は、3施設で、計56床、常時入院待機者がいる状態で、08年度の入院待機者の最大値は1病院当たり20~60人に上ったそうです。中には待機中に患者が死亡した例も多いとのこと。待機者の多さについて「県民の経済力では在宅での『みとり』が厳しい。共働きが多く、介護力が乏しい上に堂々と介護休暇を申請できる職場も少ない」との病院側のコメントを紹介しています。記事では最後に「緩和ケアは医師、看護師のほか薬剤師、ソーシャルワーカー、理学療法士、栄養士、宗教家、ボランティアなど多くの専門家がチームを組んで患者と家族を支援する。緩和ケア病棟の整備が進まない原因には専門家チームを作ることが難しかったり、一般病棟と比べて多くの看護師が必要なこと、診療報酬が薬剤投与や治療内容に関係なく定額に設定されていることなどが指摘されている。」と結んでいます。この例を見ても、がん治療やがんの緩和ケアには現行の定額支払い制度は馴染まない(定額支払いの考え方は否定しない)のは自明でしょう。
もう一つ思うことは、現在、緩和ケア病棟≒末期がん患者とエイズ患者病棟=ホスピス、すなわち死ぬまでの最後の時間を過ごす病院という捉え方が主流ですが、本来の緩和ケアとは違うのではないでしょうか。末期でなくとも痛みに苦しんでおられる患者さんは多く、緩和ケア病棟で痛みが落ち着けば退院して在宅や通院できるのではないかと思うのです。このことは、がん対策推進基本計画には謳われてはいるんでけど、道程は遠そうです。
Pet   昨日はPET検査でした。ここの病院では他の検査はまあ許せるとしても、PET検査技師だけはいつも不満が残ります。PET検査は薬液の注入後、1時間休み、機器で50分程度測定します。昨日は機器に1時間半もくくりつけられていました。終わっても検査技師がなかなか来ず、気分が悪くなって大声を出して、やっと来たのです。謝罪の言葉もないのです。スタッフ不足なのは分かりますが、何かあったらどうするのでしょう。こんなことではデータの信頼性も疑われます。来週結果を聞きに行きますが、主治医に言いつけようと思ってます。angry
Mamemaki子どもが小さい頃は、一緒に豆まきをしたものです。昨晩は、私が犬や鳩を鬼に見立てて豆をまきました。犬も最初は面白がって食べてくれてましたが、5粒ぐらいで見向きもしなくなりました。もちろん子どもも歳の数なんて食べません。私も仮歯ですのでポリポリしたいところですがそれも叶わず。余った豆はご飯にでも炊き込みますか。今日は立春。まだ寒いですね。余寒お見舞い申し上げます。

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緩和ケア病棟-その1 寛解後583日目

 私の小学校の同級生が喉頭がんで闘病、丁度1年前、キリスト教系のホスピスにて亡くなりました。以前も書きましたが、がん関連にかかわらず緩和ケア病棟のない病院は多く、それも公立だとか宗教団体が経営しているとか、原資を医療行為以外に求められる病院に限られるようです。
理由は、現医療制度では緩和ケア医療体制を充実させると経営が厳しくなるからです。
 緩和ケア病棟入院料は37,800円/日(3割自己負担11,390円/日)の定額支払い(寛解後577日目参照)で処置、検査、医薬品などほぼ総ての入院料が包括されていますが、緩和ケア担当医師の常勤や看護師数、差額ベッド料を請求する病床数の制限などが義務付けられています。このため、投薬や処置が少ない病院では収益が上がり、痛みの緩和に抗がん剤や、医療用麻薬などを必要とする患者が入院するほど収支は悪化します。真面目にがん患者の緩和ケアをやっていれば必然的に後者となるわけです。全国的にはがん死亡者千人当たり緩和ケア病床は10余りで、これは現在の東京や神奈川なども同様です。多いのは高知や滋賀で25ですがこれでも少ないですね。埼玉県などは2.4と極端に少ないようです。病床数が少ないことは待機患者数も多いということです。はっきりとした統計的な数値は手元にありませんが、東京の場合、待機患者数は10~20人/病院・月のようです。待っている間に亡くなる方も当然います。介護老人施設と同じです。緩和ケア病棟にも入れず痛みに苦しんで亡くなってゆく患者さんがいるというのは辛いですね。
Uenokoen1 Yukibotan_2昨日の上野公園です。桜並木には雪の花。 寒かったですね。

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診療明細書     寛解後582日目

 08年夏のリンパ腫治療が終った頃から、病院で領収書と一緒に「診療明細書」がつくようになって、以降貰うのが当然のように思っていました。
 読売1/28夕刊「治療費内訳 関心持とう」と題して診療明細書の紹介記事があり、当然ではないことが分かりました。
 診療明細書は、医療機関が患者の加入する健康保険組合などに提出するレセプト(診療報酬明細書)に似た詳しい内容。 商品の名前と金額が列挙されたスーパーのレシートのようなものです。
具体的には、初・再診料の基本料金と加算金、入院料内訳、検査料内訳、画像診断費内訳、投薬料・調剤料、注射などなどです。
厚労省は発行の義務化を進めましたが、負担増を嫌う医療側の猛反発があり、06年は発行の努力義務、08年からは400床以上は義務化、ただし求めがあった場合のみ発行なのだそうで有料の場合もあるとのこと。
 全患者に無料発行しているのは現在のところ国立高度専門医療センター8病院、国立病院機構39病院(全145)のみだそうです。読売がいうように患者が関心を持たない、という訳ではなく、恐らくそのシステムを知らないか、もしくは現在の診療明細書が難しくて貰っても分からないということではないかと思います。患者側の当然の権利だし、医療側の説明責任でもあります。
Meisaisho1 ある日の私の診療明細書です。血液・尿検査とPET/CT検査について書かれていますが、分かりにくいですね。

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ピンピンコロリ+α 寛解後581日目

 昨年(いつだか忘れました)の産経のコラムで医師で作家の久坂部羊さんが、いわゆる「ピンピンコロリ(PPK)」について書いていました。 PPKは、長野県高森町で、高齢者の健康づくりキャンペーンのキャッチフレーズとして考え出されたもので、ピンピンと元気で長生きし、最後は寝つかずコロリと死のうという意味です。今や福祉や医療の世界では、理想の老い方の代名詞のように使われています。 久坂部さんは従来から、患者の負担を考えれば「がんは最後まで治さない」「終末期医療も無駄」と言っていた人ですが、鎌田實先生と対談したとき、思いもかけない示唆を受けたそうです。(さすが鎌田先生です)
 「PPKを安易に推奨すると、傷つく人がいるというのだ。脳梗塞やパーキンソン病などで、すでに体が思うように動かなくなっている人たちである。 たしかに、元気でない老人がこれを聞けば、いやな気がするだろう。 それは高齢社会の問題が、結局はまだ老いていない人や、元気な老人の視点で語られることが多いからだろう。 老人医療の現場で、病気や障害を抱えた多くの老人を診ている私は、PPKなど推奨せず、どんな生き方でも死に方でも、すべては可能な範囲で自分の思う道を選べばいいと言うべきだった。」
医師がそう思ってくれるのはありがたいと思うし、人間として当たり前じゃないか、今頃気付いているのかとも思います。世間には確かにPPKをいい様に解釈して、いかがわしい代替療法や新興宗教に利用したりしている例も多々あります。 自治体も、結局は高齢者の介護・医療費の削減のために推進している例が多いと思います。ですからPPKについては、再度社会全体で考え直す必要があるでしょう。
 私が気になっているのは、PPKのうちPP(元気に長生き)のみが強調されてKについてはあまり考えられていないことです。厚労省委員で東大のDr.中川(大学の後輩)は、昨夏の学士会の講演でPPKを批判していました。相変わらず論点がはっきりしないのですが、彼の持論の死生観では、「西行法師などはいかに死ぬかを考えていてた。それが日本人の死生観だ。」と。 実に青臭いですねー。PPKも死生観には違いないのです。久坂部さんにしてもDr.中川にしてもKについての議論を医師がきちんとやってないから、そんな風に思うのでしょう。 例えば、安楽死の問題とかね。 私の理想はPPNKです。眠っている間にコロリです。私の母は長らく心臓病で苦しんでいましたが、最後は自宅の畳の上で就寝中に息を引き取っていました。苦しんだ様子もなく、検死した医師も心原性脳梗塞で即死だろうと言っていましたので、その点だけは神様に感謝しました。
Lemon 貰ったレモン(ノーワックス)を、どうしようかなと考えていましたが、シンプルに砂糖漬けと塩漬けにしました。塩漬け(右)のほうは2,3日して水が出きったらシナモンなどを加えます。

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心の傷      寛解後580日目

  小学校のクラス会を3月にやると通知が来ましたが、出席するか迷っています。小学校の同級生とは疎遠になっています。何故かというと、6年生のとき父兄が担任派と反担任派に分かれて(子どもは分かれてなかった)険悪となり、卒業後も担任派は当時の担任の先生を中心にクラス会を毎年のように開き親睦を深めたのに対し、私も含めた反担任派はクラス会へは行かなかったからです。なぜそんなことになったかというと、担任のA先生は中学受験をひかえても独特の情操教育を行い、というより授業を行わなかったので一部の父兄の反発を招いたからです。A先生はとにかく変わった先生でした。詩作や小学生には理解できないような芸術鑑賞を優先し、真面目にやらない生徒には厳しかったのです。私は理由も理解できないまま叱られ、ビンタされたことが何度もあり、自分は先生に疎まれていると悩んだものです。大人になって冷静に考えれば、単なる変わり者の小心者で気にすることはなかったとは頭では理解できるのですが、幼いころに負った傷はなかなか治りません。クラス会には行きたいが、A先生には今でも会いたくないのです。そんな自分を嘗ては大人気ないとは思いました。というのは同じように理由なきビンタを食らっていた同級生が五十を過ぎてからA先生を許すようになって、彼から「いい加減にしたら」と諭されたことがあったからです。その時は自分が悪い、なぜ拘るのかと自分を責めましたが、A先生の顔を思い出すたびにあの頃が鮮明に蘇り、体が重くなる気がするのです。勿論、A先生も高齢になられ若いときとは違うということは分かっているんです。 いわゆるトラウマなんでしょうね。このまま、一生トラウマを抱えるのかと思うと残念な気もしますし、一方で自分には中高大の友達やお世話になった先生が大勢いて、無理してまで小学校時代の先生に会うこともないかなとも思うのです。この歳になって嫌なことをがんばる必要もないかなと。
 こんな小さなことでもトラウマになるのですから、親に虐待されたとか、先生が教え子にわいせつな行為をしたとか、被害にあった子どもの心の傷は想像を絶します。以前、虐待関連で親権の話をしましたが、小学校の教師に関しては懲戒免職程度では済まないのです。
Swan  あっというまに1月も終わりです。昨日は家内と吉祥寺をウロウロしていましたが、ポカポカ陽気に誘われ多くの人で賑わっていました。写真は井の頭公園の白鳥です。

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